ニューエイジ・ミュージックを集めたコンピレーション・アルバム、”Image”。Image,Image2のどちらかだったか憶えていないが、私が小学生だった頃、誕生日プレゼントに親から買ってもらった記憶がある。
葉加瀬太郎、ゴンチチ、鳥山雄司、ディープ・フォレスト、etc…。私にとって、それらの音楽との出会いは大きな衝撃で、J-POP全盛期の90年代、邦楽に併せてヒーリング系、ワールド系を好んで聴くようになり、そこからミニマル・ミュージック、テクノミュージックと、歌詞の(ほとんど)無い音楽に触手を伸ばしていった。そんななかで出会った一人が坂本龍一である。
しかし幼い頃の私にとって坂本龍一は、久石譲と同じく「怖い音楽」を奏でる存在だった。夕陽しか入らない北向きの子供部屋で、彼らの奏でる音楽はどこか物寂しく、一人で聞いていると消え入りそうな気分になった。内面に光を当てる音楽の素晴らしさを理解できるようになったのは、大学生以降だったと思う。
成人になった私が再び彼に出会うのは、YMOの楽曲を通してだった。中学生以降、UnderworldやSystem Fなどのテクノミュージックを好んで聴くようになった私は、中田ヤスタカのCAPSULEやエレクトロサウンド感の強いSUPERCAR、Spangle call Lilli line等のミニマル感の強い曲を愛聴するように。YMOに出会うのは流れとして必然だったのかもしれない。とはいっても平成生まれの私には1970年代のそれは少し古めかしく、「好んで聞こう」と思うより、教養として聞いておかなければ、という義務感に近い形で聴いていたように思う。
キリンの2007年のCM「時代は変わる。ラガーは変わるな。」にYMOが出演。背景に流れていた「RYDEEN 79/07」で心を鷲掴みにされた。当時は子供なのでビールのCMなんかなんの興味も無いのだが、ブラウン管テレビのやわなスピーカーからトイピアノのつんざくような音色がリビングに流れ、ふと振り向けば3人のおっさんが映っている。「なんだこのかっこいい連中は」と。
立ち居振る舞いに心惹かれたのはもちろん、それぞれ各方面で売れている大人3人が仲良さそうにしていることにグッとくるものがあった。私は中高男子校という環境故に(?)男性同士の絆、ホモソーシャルにかなりの苦手意識を持っている。でも、なんかそれとは違う。それぞれの道を歩む大人がそれぞれの「人生」という道中で再会する、そんな未来が自分の人生にも起こり得るのだとしたら、楽しいだろうなぁと思えた。中年を過ぎた自分が吉祥寺や阿佐ヶ谷の飲み屋で同級と語らう姿を想像したりして。
YMOの「坂本龍一」を知ったことがきっかけとなり、個人作品にようやく気持ちが向かった。News23の主題歌「put your hands up」、花王のシャンプーのCM曲「Asience」、ドラマ「ケイゾク」主題歌の「クロニック・ラブ」、映画「星になった少年」で使われていた「Shinning Boy&Little Randy」、六本木ヒルズのテーマソング「the land song -music for Artelligent City」、サントリーウィスキー山崎CM「yamazaki 2002」等々。新島八重が主人公の大河ドラマ「八重の桜」のテーマソングを担当したのも坂本龍一だった。母校、同志社の映像をバックに流れる彼の曲は優しくて、こんな曲調の音楽もいいな、と自分の聞く曲の幅が拡がっていった。
坂本龍一の奏でる音は、どこかに孤独を感じる。
垂れた水滴が水面に波紋を起こしては静まり返るように、彼の音楽は心を揺るがせることはあっても、私をどこかに連れて行くことはなかった。「音楽を聞く」とは、その時間を音と共有する、という行為である。例えばサザンの曲を聞けば茅ヶ崎の海や横浜の夜景を想像するが、彼の音を聴くという行為は、私自身の内面に降りていくことと同義だった。
私たちは音として表現されたものを聴きながら、その音から情景を復号化していく。復号化された情景には映像や肌に触れた感触、においなど五感の情報が含まれるため、音楽の情報量を遥かに上回る。もちろんそこには我々が想像で補ったものが多分に含まれている。彼が音に変換した元の情報が何だったのか、その多くが彼の感じた等身大の情景であったのだと思いを馳せながら、聞き続ける。ジョン・ウィリアムズが作ったスターウォーズのテーマを聴いた時のように、壮大な気持ちになることはない。彼の音を聞く時、私はいつも孤独だ。
社会人になった私は、楽譜も読めず、練習すらしたこともないのに高価な電子ピアノを買った。「Merry Christmas, Mr Lawrence」を弾きたいが為に。見様見真似で練習したけどものにならず、結局ちゃんと弾けないままピアノを手放すことになった。ただ練習する過程で、弾けば弾くほど悲しい気持ちになったのを憶えている。音から復号した景色の色彩が、よりはっきりしてくる。素敵な曲は、下手が弾いたって弾いた本人にとっては素敵なのだ。
その後、高木正勝、ビル・エヴァンス、オスカー・ピーターソン、キース・ジャレット等のピアノ音楽を好んで聴くようになったのも、回想すれば彼の音楽を聴いていたことが多分に影響していたのだと思う。
まさかこんなにも早く、彼の音を聞けなくなる日が来るとは、思ってもみなかった。
「面白かったし、やることやったよなって感じはあるよね。やり残したことはいっぱいあるけれど、それなりにやったろって。俺はまた別だろうけど、龍一ちゃんはちゃんと作品を通じて残っているから。いい作品を残して、いいじゃないのって。悲しいことだけど、龍一ちゃんはいろんな仕事できたはずだけど、人間はいつか区切りがくるし、そういう時にまあいいか、ということじゃないかと思うけどね」(北野武)
クローズアップ現代 坂本龍一 最期まで音楽と共に(2023年4月4日)
まだまだ、坂本龍一の音楽、言葉、思考、彼の生み出すものを聞いてみたかった。余りに早い夭折に、今は冥福を祈るしかない。今まで、ありがとう。