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      住み慣れた街

      自分が青梅に引っ越して、もう少しで3年になる。

      引っ越していろんなことがあったが、ようやく最近「住み慣れた」と感じるまでになった。前職を辞め、行政書士を開業し、売上が上がったり下がったり、同居人と大喧嘩したり仲良く過ごしたり。まあ大変だったけどなんとか生活できている。

      私が青梅に引っ越してきたとき、家の周辺に知人は誰も居なかった。知り合いの居ない土地に住むのは少々心細いものがあったが、引っ越した中古物件の前住人の方が、近隣の案内をしてくれた。案内された一人が昔から続く街のタイヤ屋さんだ(自宅のすぐ近く)。ご挨拶に伺うととても明るいお兄さんで、「ここはいいところだから」と青梅の良さを語り、そして移住した我々を歓迎してくれた。

      車周りはすべてそのタイヤ屋さんに相談するようになった。スタットレスの交換はもちろん、パンクしたときも、側面を擦ったときも直ぐに見てくれたし、中古車を買って初期不具合があったときも、最初に相談したのがそのタイヤ屋さんだった。お世辞にも車の運転が上手いとは言えない私にとって、車の面倒をすべて見てくれる隣人の存在は大きかった。

      3年目の冬。

      今年もスタットレスタイヤに替える季節がやってきたが、タイヤ屋さんに、そのお兄さんの姿が見えない日が続いた。季節になると、お兄さんのほうから自宅に来て声がけしてくれていたのもあり、すこし心配になった。バタバタした日が続いて、こちらからタイヤ屋さんに伺う時間もなく、いつの間にか1年が終わっていた。

      年が明け、能登半島地震、羽田空港での衝突事故、自身のインフルエンザと、年明けからとんでもない日が続いた。年始からのドタバタの中、一本の電話があった。

      お兄さんの訃報だった。

      一瞬、声が出なかった。

      近所のお祭りが楽しかったとか、今日は寒いねとか、そんな話をよくしてたなーって、思い出した。仕事を紹介してくれたこともあった。なんかひたすら気遣われていたような。駅近くで、仕事帰りのお兄さんとすれ違うことも何度かあった。話しかければよかった、なんて月並なことを思う。

      お兄さんの存在がどれだけ大きかったか、このとき初めて気がついた。数ヶ月に一度、車の面倒を見てもらうだけの関係だと思っていたけど、違った。大きなぽっかりとした穴が、心に空いた。

      夕方から雪の予報だったある日、玄関のチャイムが鳴った。お兄さんの弟さんだった。

      「生前、兄がお世話になりました。まだ遠藤さんのところの車、タイヤ、スタットレスに替えてませんよね?今日雪の予報だから替えたほうがいいかなと思って」

      以前から気にしてくれていた様だ。お兄さんがお店から姿を消している間、店は弟さんが守ってきたことを知った。外は寒風吹きすさぶドンヨリ雲。自分だったら仕事もせず早仕舞いしているところだよ。。

      早速冬用タイヤに替えてくれたその数分後、あられが降ってきて、あたりは白一色になった。

      俺は誰かの良い思い出になるような人間だろうか。そう、なれるだろうか。

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