Atmoph Windowという、商品というかサービスがある。
縦長の、枠付のモニターで、見た目は「縦長の窓」のようなモニターだ。値段は5万円。
このモニターには「美しい山」や「波の押し寄せる海岸」の映像を映し出すことできるようになっていて、このモニターを部屋に飾ることで、窓のない部屋や、窓から景色の見えない部屋であっても、多少は開放的な気分を味わうことができる。
部屋にいながら外と繋がっているような感覚を味わえるサービスとしては、他にも、三菱電機が作っている、青空照明 misola(みそら)という商品がある。
こちらは「デジタルな」天窓で、窓のない天井に、天窓を作ることのできるサービスだ。視覚的に青空に近いようなものと太陽光のような自然な光を表現できる装置なのだが、価格は70万円前後。一般人には手が出ないが、オフィスや病院といった空間に既に活用され始めている。
さて、この日記を書いている僕の部屋にも小さな窓がある。その窓から見えるのは、隣に聳え立っているマンションの廊下の灯りだけだ。
小さい頃から、僕は「窓コンプレックス」みたいなものを引きずって生きてきた。小学校時代の子供部屋にあった窓は磨りガラスで、外がよく見えない。窓を開けても、建物に囲まれた小さな公園が見えるだけ。夕方時間に親子の遊ぶ声が窓越しに聞こえてくるのだが、外が暗くなると、ものの1時間で聞こえなくなる。なんとなく寂しい空間だった。
しかも窓の外をこちらは認識しているのに、磨りガラスのなかにいる僕が公園にいる人から認識されることはなく、その非対称な関係は、幼かった僕を「幽閉された人」のような気持ちにさせた。とてもじゃないけど「いい部屋」とは思えなかった。
大学時代に住んだ部屋も、あまり良くなかった。不動産屋と回った時には「東向き」の部屋を内覧したはずなのに、僕が実際に契約したのは「西向き」の部屋。今から考えるとおかしな話だが、おかげで毎日、夕陽を眺める羽目になった。もともと朝が弱かった私は「起きると夕方」の毎日を過ごすことになり、1年間で8単位しか取得することができなかった。流石に危機感を覚え、1年で引っ越すことにした。
窓は、採光や換気のためだけにあるのではない。窓を通じて、自分が世界と繋がっていることを実感することができる。部屋の窓は、人生に大きな影響を与えるほど、重要な存在だ。人の性格も変えるし、人の習慣も変えてしまう。いい窓との出会いは、人の人生をいい方向に変えてくれるはずだ。
勉強や仕事で息詰まり、近視眼的になって落ち込んだ時には、今ここではない遠くを眺めたい。僕は、余っている22インチのモニターに、レインボーブリッジと東京湾、そして遠景に都心が映ったチンアナゴさんのライブ動画を24時間流すことで、デジタルな窓をひとつ作った。これが、とてもいい。
レインボーブリッジを走る車、遠くのビルのネオン、海に浮かぶ船、揺れる水面。とにかく見飽きない景色なのに、ぼーっと眺めて時間を浪費することもない。渋谷のスクランブル交差点のような猥雑さは無いし、新宿のネオンサインのようなギラギラも無い。おそらく高層マンションか高層ビルの一部屋から映しているであろうこの映像を借用することで、マンションの陰に隠れたこの部屋にいながら、高層マンションの一角に居るのと同じような気分を味わうことができる。クロード・モネが生きていたら、この画角で印象・夜景を描いたかもしれない。
5万円の窓風モニターや、70万円の天窓がなくても、開放的な部屋を作る方法はある。家に光回線と余ったモニター、余ったパソコンがあれば、「デジタルな窓」を試しに作ってみて欲しい。別に「窓」を見たいわけでもないのに、今までよりも部屋にいる時間が長くなるだろう。
今日も「多摩川行政書士事務所」のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

