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      すべての道は節約家に通ず。

      街づくり行政書士の遠藤です。

      自然の多い奥多摩に住んでいた影響もあり、たまにキャンプをしたり、車中泊を楽しんだりすることもあるのですが、自分のこの欲求はどこから来ているのだろう、と我に返ることがあります。

      それだけではありません。ミニマリストのようにモノのすくない暮らしに憧れたり、大原扁理さんのように、年収100万円で暮らしていくのも楽しそうだな、なんて考えたりもします。

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      自由になりたい。という定期的に訪れる願望

      おそらく私は、「自由な時間」や「切迫感のない人生」を求めているのだろう、と思うのです。なにかに追われることもなく、嫌な仕事をする必要もなく、やりたいことをやって、1日を終える。そうした人生を歩みたいと心のどこかで思っているのでしょう。

      たぶんこうした思いを抱いているのは私だけではなく、多くの人が同じような思いを抱いているのだと思います。

      その発露として、キャンピングにでかけたり、車中泊を楽しんだり、モノを捨ててみたり、働く時間を短くしたり、形をかえた行動が様々な人に見られるのでしょう。煙草を吸う、という動作だって、私には単なる「ニコチンの補給」ではなく、つかの間の「自由を求める行為」に思えてなりません。

      お金持ちになるという選択

      もちろん「お金持ちになる」というのも一つの「自由を得る方法」だと思います。

      長い歴史のなかで、お金持ちになるためには、生産設備を用意し人を雇う必要がありました。労働集約型にしても資本集約型にしても、です。そのためには莫大な資金が必要となるので、自身が投資家であるか、それとも銀行や投資家からお金を得る必要がありました。

      小金持ちでよければ、高収入が期待できる会社の正規社員としてしっかり働く、あるいはその社会を支えるひとりのプロフェッショナルとして与する個人事業主として生きる方法もあります。

      社長と社員、そして多くのプロフェッショナルが共有している価値観が、「生産主義的」あるいは「手段的」(instrumental)な価値です。日本の成長を支えた近代合理主義が明治維新から150年以上、連綿と続いてきたように、「手段的」な価値観はこの日本にすっかり根付いたものとなりました。

      コンサマトリーな価値観、という選択。

      さて、「手段的」(instrumental)な価値観の対概念として、コンサマトリー(consummatory)= 「自己充足的」な価値観があります。

      「手段的」な価値観は、勤勉・効率性・責任感といった産業化を支える性質を持ちますが、一定の豊かな社会が実現すると、自身の時間を制約してまで働くことへの動機が失われるため、「自己充足的」な価値観、つまり、なにかの目的のためではなく、そのものが欲しいから得る、という価値観が台頭してきます。

      半農半X(自分の食料は自給農でまかない、残りの時間は自分のやりたいことに費やす生き方)であったり、フリーターとして週3日だけ働く代わりに安いアパート暮らしをする、みたいな生き方であったり、生活費の安い東南アジアに引っ越したり…。

      「手段的」な価値観が「自由を得る」という目的のためにお金を稼ぐのであれば、「自己充足的」な価値観では、「自由を得る」ために自由になる、ということになります。それはフリーターであり、フリーランスであり、それゆえ「自己充足的」価値観で高収入を得られる人はごく一部に限られてしまうため、多くの人は、お金を使わないことで「自由になる」という選択をとることになります。

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      コンサマトリーな価値観がここまで台頭してきた背景には、「一定の豊かな社会」が形成されていることに加え、「手段的」な価値観上に存在する仕事が既に魅力的でなくなってきたことが挙げられます。バブル崩壊からの失われた30年で、正社員であっても働いても年収が増えず昇進もしないなんて、当たり前のことになりました。「手段的」価値を信奉しようにも、身を捧げるに足る仕事に、多くの人がありつけないのが現状なのです。

      自由になりたければ節約家になるといい

      どちらの価値観で生きたとしても、生存環境が「基本的に悪天候で不安定」であるならば、「手段的」価値世界の末端の住人として生きるよりも、「自己充足的」価値観のメンバーとして生きている方が楽です。お金による優劣はなく、あるとすれば自由や幸せの多寡による優劣くらいですから。

      三浦展さんは、2012年の著書「第四の消費」のなかで、現在は、シェア指向・人と人のつながり指向、行動のなかにある「楽しさ」ではなく、関係性のなかでの「嬉しさ」を指向する社会であることを指摘しています。

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      私も大学生だった2010年から同棲するまでは一貫してルームシェアで過ごしてきました。ひとり暮らしをしたのはわずか1年。「同じ価値観を共有できる仲間」と一緒にいたい、という思いは人一倍大きいと思います。

      親や学校等で「手段的」価値の教育をしっかり受けてきた私は、ふと気を抜けば、手段的価値世界のふるまいを自ら選択してしまいます。利便性、効率性、生産性の名のもとに毎朝スタバに通い、ランチは外食し、帰宅途中にコンビニでお茶を買います。見栄を張るためにグランドセイコーを身につけ、ブランドモノの背広を着たいと思うのです。

      受けた教育は「生産的」、だけど育った環境は「自己充足的」という矛盾をかかえながら、価値観の揺れ動きは今なお続いています。私はいったいどこに向かうのでしょうか…笑

      ということで、街づくり行政書士の遠藤でした。

      ではまたー!

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