「閉ざされたドアの向こうに 新しい何かが待っていて きっと きっとって 僕を動かしてる」
Mr.Childrenの「終わりなき旅」、だ。イヤフォンから流れてきた歌詞が、妙に引っかかる。いまさら。もう1000回くらい聞いてるんじゃないかな、この曲。
ドライブ用につくったアップテンポなプレイリストに、なんで「終わりなき旅」なんて入れたんだろう。この歌詞を耳が拾うってことは、ストレスを感じている何かの証左だと思った。「閉ざされたドア」を開けたら何があるのか、不安と期待の入り混じった胸の高鳴りを耳から知る。
ちょっと、落ち着かなきゃ。

2020年1月。ナカムラケンタさんのTwitterから、日本仕事百貨がローカルライター(地域に居ながら、業務委託で働くライター)を募集していること、そして、編集ゼミを開講することを知った。
2021年3月末をもって、地域おこし協力隊からの除隊が決まっている。奥多摩に居ても、働くことのできる仕事を探していた。面白そうじゃないか、ローカルライター。でも、自分の実力で務まるのだろうか、、不安がよぎる。
自分が地域の人を取材するとき、インタビュー・撮影・執筆・校正は、ひとりでおこなう仕事だ。自分以外、誰もいない。一人で書いて、ひとりでチェックしている。だから、何本書いても「編集」というものがどういう作業なのか、未だによく分からない。編集ゼミ、ひょっとして俺のために開かれるんじゃ。そう錯覚した僕は、すぐに申し込んだ。
清澄白河駅から徒歩5分、リトルトーキョー3階。ドアはあったが、「閉ざされ」てはいなかった。そりゃそうだ。開いてないと入れない。受講生がぽつぽつ、日本仕事百貨の編集部員が何人かいて、そして椅子が並んでいた。入り口で名前を告げ、町役場に提出する領収書を受け取る。スーツを着た畏まった人も、奇抜なファッションの人も、見渡す限りいない。落ち着いた空気感に、正直ほっとした。
受講生は23人。女性8割、男性2割くらいか。緊張感こそあれ、ピリピリした雰囲気は感じない。そうこうしているうちに10時、ゼミは始まった。

ゼミ1日目テーマ:「聞く」
編集ゼミは金土日の連続した3日間、短期集中型のプログラムだ。インタビューし、文字を起こし、記事を作成、そして校正まで、とおしでやる。実践を通じて、記事作成の過程を習得しよう、そんな主旨だと思う。
初日のテーマは、「聞く」こと。人の話を聞いていなければ、書けるものも書けない。この日は、2人1組になって、お互いにインタビューを何度か行った。5分。10分、20分。聞く時間によって、掘り下げられる話の量も範囲も変わる。普段、のんべんだらりと聞く癖のある自分にとって、タイトな時間感覚は新鮮だった。
インタビューをして終わり、ではない。仕事百貨という組織の仕事スタンスや、編集に対する考え方について「聞く」ことも、多い一日だった。
僕の記憶に残っていることを以下に書きとめておくから、知りたい人は参考にしてほしい。仕事百貨では執筆や編集のマニュアルを用意しておらず、やり方やスタンスは人それぞれの部分も多い。なので、書きとめたものが組織全体のやり方を必ずしも示すものではない。その点、ご留意いただきたい。
思ってもいないことは、言わない。
インタビュー時に、中川晃輔編集長が気をつけていることのひとつ。
脊髄反射的に、プロトコルのように出てくる言葉を、自分の言葉に置き換えられているだろうか、ときに、無言や抑えた反応を選択肢に含められているだろうか。
「あー、いいですよねそれ」
すぐ言っちゃう。俺は、できていない自覚がある。
大切なのは、相手と自分に横たわるその距離を常に意識しながら会話する、ってことなのかもしれない。むやみに、同意しない。嘘を言ってまで、近づかない。いつも、考える。
用意されなかった言葉を聞きたい。
ケンタさんがお話された、印象に残ったことば。
「取材対象者の話してくれた内容が、編集も大変なくらいに文脈がバラバラな事がある。完全に安心して身を委ねて、話してくれているんだよね。用意していた言葉じゃない。その言葉を色々な視点で編集していくと、面白い文章になる」
自分が普段、取材して感じることと、同じだった。悩みながら語ってくれる時、話題が行ったり来たりする時。取材下手で申し訳ない、と思いながらも、素敵な話が聞けて嬉しかったことが何度もある。心理的安全性を高めることを、インタビュアーとして意識すべきだと思った。
未来の自分に託す。
取材直後に、もう原稿の筋書きは見えているのだろうか。もしかして取材が始まる前に、すでに構成を決めているのだろうか。投げかけて返ってきたこたえは、「特に決めていない(ことが多い)」だった。
「未来の自分が書けばいい。そう思えるから、インタビューをしている今の自分は、今に集中することができる」
なるほど。
そんなこんなで
1日目はあっという間に終わった。
講義、インタビュー、フィードバック。18時からは懇親会。全員とは話せなかったが、今回参加したメンバーがどんな属性の人たちで、何に興味があるのか、いくらか見渡せるようになった。時計は21時を指している。流石にこの時間から奥多摩まで帰るのはしんどい。駅前のホテルにチェックインした。
「誰と話しても 誰かと過ごしても 寂しさは募るけど どこかに自分を必要としてる人がいる」
帰り道、あらためて「終わりなき旅」を聞いてみる。
清澄白河の夜は素敵だけど、ひとりになれば孤独だ。人が孤独な生き物だって、頭では分かっている。
自分の書く力を必要としてくれる人が現れることを信じて、今は前に進むしかない。
ゼミ2日目テーマ:「書く」
1日目に「聞く」ことを学んだ。2日目のテーマは、「書く」。この日やることは、30分のインタビューを行い、文字を起こし、記事を書くところまで。
インタビューの主題は「ライフヒストリー」。取材対象者の人生に焦点を当てて記事を書く。仕事百貨に掲載するわけではないので、求人広告はつくらない。取材対象者がどんな人か、ちゃんと伝わる記事を書くことが、今回のゴールだ。
事前に、編集部から「インタビューと雑談の違い」について説明があった。インタビューとは、話す側、聞く側の関係性が明確なコミュニケーションであり、取材対象者が安心して話せる空間を作る役割は、聞き手にある。

今回インタビューしたのは、まだ一度も話したことがなかった、ゼミ受講生の高坂信也さん。奥渋谷にある、出版もできる本屋「SPBS」の、編集者さんだ。
「よろしくお願いします」
彼の職務である「編集者」から、少しずつ、人生を遡って聞いていく。半年前、1年前、2年前、3年前…、前職、大学生の頃、高校生、中学生、小学生…。
取材時間の30分なんてあっという間だ。彼の29年の人生に対して、1年に1分しか与えられていないのに、僕は彼の人生の、いったい何を聞けるのだろう。
ストップウォッチの音がする。30分経過時、僕は彼が歴史好きになった経緯について聞いていた。

高坂さんの話は面白い。面白くて、どうしてもエピソードをメインに聞いてしまう。
高坂さん=徳川家康大好き少年、という軸で書いても面白そうだが、掘り下げ方が浅かった。圧倒的に情報量が足りないだろう。このままじゃヤバい。怖がった僕は、最後にひとつ、追加で質問した。

話が面白い方向に転がっていく。
ふと思う。高坂さんの話を、どうして僕は面白がっているのだろう。
何が面白くしているのだろうか。具体的でツッコミどころがあるからなのか。
そもそも、なんでこんなに具体的に、ありありと気持ちを含めて語ってくれるのだろう。
ん?、とひらめく。
彼は、自分の感覚を大切に生きてきた、人。
実際に見たり、体験したり、感じたりした、等身大の何かを掴もうとしているんじゃ。
彼のそれを、そこを、書きたい。
インタビューを終えて、そう確信した。
まずは書き起こしから始める。
仕事百貨では、基本的に(慣れてくると別だが)取材内容を全文書き起こしてから執筆をおこなっている。
息遣いや、会話の間といった雰囲気も、できるだけ削ぎ落とさずに書き出していく。
Mac専用の文字起こしソフト、「CasualTranscriber」を教わった。
巻き戻しにショートカットキーを使えるなんて、素敵だ。さっそく浮気した。
計38分行ったインタビューを起こすのにかかった時間は、2時間。まあまあの速度だと思う。知らんけど。

書き起こしが終わったら、次は構成を考える。
1.自分の言葉で言い換えて箇条書きにする
2.並べ替えたり、固めたりしてみる
3.全体の流れを確認する
4.タイトル(めいたもの)をつけてみる
おおよそ言いたいことを先にプロットしておくなんて、自分には未知の経験だ。
いつも文字起こしをして、文面を眺めて、気持ちのままに書き始めていた。
案の定、1時間たっても2時間たっても、構成を作れない。手が動かないのだ。
文字起こしから構成を抽出するなんて、無理。
途方に暮れた僕はパソコンを閉じた。
冷静になろう、冷静に。
“Keep Calm and Carry On” は物書きによる物書きのための造語なんじゃないかと時々思う。
…。
そうだ。何も見ないで、頭のなかで思い出したことを、ただ、書き出してみよう。
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彼は歴史が好き。
小5の時に徳川家康の伝記に感化されたのだ。
読書感想文を書かなきゃいけないからと読んだ伝記。それが彼を歴史好きにさせた。
「根本的には知識欲があるんでしょうね」
だから彼は旅をする。
地球上から、行ったことのない場所を、なくしたい。
理由は、知らない場所があるのが嫌だから。
先月、編集者の仕事に就いた。
自分の知ったことを、人に伝えるのが好きだから。
でも、将来の夢は、社会科の先生になること。
「大学入学時は、4年後に先生になるはずだったんですよ」
大学は教育学部。
小中高と輝いていた先生の姿を見ていたから。
でも、一度、社会に出て、社会を知ってから先生になる道を選んだ。
知りたい。それが彼の人生の原動力になっている。
子供たちには好きに生きていいんだよ、っていうのを伝えたい。
そのためにも自分がいろんなことを知って、柔軟な思考を持たないと、という責務を感じている。
編集という今の仕事で彼が得たものがどう教育にFBされるのか、これからが楽しみだ。
ーーーー
20分くらいかかったけど、言葉が出てきた。しかも、なんか構成っぽくなってる。
え、こんなんでいいのかな?
仕事百貨の編集者、増田 早紀さんに見てもらった。
「おおよそいいけど、段落ごとの構成が似ている、変化をつけたほうがいい」
「2000字におさめるには詰め込みすぎでは」
その通りだ。なおそう。
「もう、書き始めちゃっていいと思いますよ」
ありがとう。僕はちょっぴり勇気をもらった。
あとは机に向かって、書き始めるだけだ。
あれ。書けない…
なかなか手が進まないのだ。指摘いただいた内容をもとに考え直したのに。
冒頭の歴史の話を含めたら2000字なんかじゃ書ききれない、消した。
出だしは、2段落目、「根本的には知識欲があるんでしょうね」に決めた。
よし、と踏ん張ってみたけれど、なにも言葉が出てこない。何も。
まわりの受講生は黙々と書き進めている。書き終わって写真を挿入している人までいる。ええええ。すご、はや。仕事できる人かっこいい。素敵だわ。
時間だけが過ぎていく。焦る。落ち着かない。何がいけないんだろう…
あれ? 遠くからまた、桜井和寿の声が聞こえてくる。今度はどの部分だ…
と思ったら、中川編集長だった。
「夜ご飯、食べに行く人いませんかー」
神! 行く。行きます。いま、食べにゆきます!
この机がいけないんだ。俺に文字が降ってこないのはこの机のせいじゃーぁぁぁ!ということで、出だしの200〜300字をいったり来たりしてるさなか、とりあえず夜ごはんを食べに行くことにした。

向かったのはとなりの中華料理屋。チャーハンセット。ラーメン大盛。腹いっぱいで眠くなってもいいや。餃子もつまむ。自暴自棄。
「調子はどうですか?」
と編集長に聞かれる。
書けてるわけないやん。書けてたらこんなところ来てるわけないやん。違った、書けてなかったら普通来ないよね、今頃机に向かってるはずだわ…何やってるんだ俺は!
「深夜1時になったら言葉が降りてくるはずなんで…」
と、すっとぼけてみた。
未来の自分に託してみる。ゼミの1日目に習ったことだ。模範的な受講生として、言いつけはちゃんと守る。
宣言したとおり、夜中1時過ぎに言葉は降りてきた。そこから書き上げるのに2時間くらいかかったけど。
なんで書けなかったのか、気づいたんだよね。
「難しく考え出すと 結局全てが嫌になってそっと そっと 逃げ出したくなるけど」
ありがとう、桜井和寿。そう。難しく考えすぎていた。そして僕は書くことから逃げ出していた。何を書きたいのか、答えはもう出ていたのに。
「実際に見たり、体験したり、感じたりした、等身大の何かを掴もうとしている。彼のそれを、そこを、書きたい」
僕が知りたい彼を、文字と記憶の中から見つけだせばよかったのだ。思いつきで書いた構成は、文中から確証のとれることを、ただ羅列しただけだった。自分が知りたいことなんかじゃ、なかったんだ。書きたいことが、構成のなかに無かったんだ。
ゼミ3日目テーマ:「読む」
3日目のテーマは、「読む」。他の方が書いた文章を読んで、編集してみよう。
仕事百貨では、最初の校正をペアエディティング(≒ピアエディティング)にて行う。ライターと編集者が、同時に画面を見つめながら読み進めていき、その場で疑問を投げかけたり修正をかける校正方法だ。僕が今回のゼミに参加したのは、このやり方を具体的に知りたかったから。
GoogleドキュメントやWordファイルに赤入れするのが校正の主流だけど、ペアエディティングはちょっと違う。
「なんか違う、と思ったら、言語化できなくても止めて、違和感を伝えられる」
間違っていても良い。とりあえず、違和感を感じたら、止める。止めて、2人で確認して、違和感の種を探していく。
まず例として、ケンタさんと中川編集長が壇上で公開校正をしてくれるとのことだった。
「誰か見てもらいたい人いませんかー」
真っ先に手をあげた。
読んでほしかった。高坂さんについて書いた文章を。編集者じゃなくて、この場にいる受講生を含めたみんなに。自分が知りたい、知ってほしい高坂さんが、そこにいたから。
だから、ここにも載せる。2020年2月16日、あのゼミで読み上げた文章のまま。直したいところはいくつもあるが、当時の原稿を読んでほしい。
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文字数、2008文字。
あの時の僕が、時間をギリギリ使って書いた、最高の文章だ。
田中泰延さんは、著書「読みたいことを、書けばいい。」のなかで、こんなふうに言っている。
その人の純粋なところ、美しいところ、正しいところ、優しいところ、そして寂しいところというのは、その人と会って向かい合っているときではなく、離れたあと、ひとりのときにふと思い起こされ、伝わり、感じるものである。
我々が人間への尊敬や愛情や共感を心に刻むのは、実に相互の孤独の中においてである。書くこと、そして読むことは、その相互の孤独を知り、世界への尊敬や愛情や共感をただ一回の人生で自分のものにすることなのだ。
田中 泰延著 読みたいことを、書けばいい。 (Kindle版 位置No.1502-1506)

清澄白河駅前のホテルの一室で備え付けの机に座り、イヤフォンを外す。
目の前に鏡。鏡には、自分を見つめる自分と、パソコンと、ベッドに転がるリュックが見えた。背後の窓からは夜景がのぞいている。
情報が多い。心臓が高鳴る。集中できない。
深呼吸し、目をつむった。
うすらぼんやりと、徐々に明確に、高坂さんは現れた。
指を組んで、座っている。
会えた。
にこやかに会釈してくれる。
彼に、もう一度インタビューするかのように、向き合う。
あの時、あの場所で彼が、話したかったことは何だったんだろう。
もう一度、語り始めるとしたら。
彼が語りだすのを、待った。
「2〜3百年前、そこに馬が走っていたかと思うと、やっぱり凄いな、って思うんですよね」
高坂さんが話している。窓の外、遠くを見つめながら。
すかさず、インタビューの文字起こしを確認した。

あった。
前後を読み返す。彼の感情が高ぶっている。心から発露したことばだ、きっと。
彼が、僕に風景を想像させようとしている。共有したかったんだ、揺れる心の動きを。
「わかんないっすけど、どうなんですかね、だからやっぱ凄いと思うんですよ」
理由なんて、要らないのかもしれない。心の動きに理由なんか。
原稿の出だしは、こうして決まった。
僕はこのゼミを終えて、新しい感覚を掴んだような気がしている。
取材対象を愛する、という、自分が課題にしていたことへの手応え、と言えばいいのかな。
うーん。正直、分からない。もっと愛せたのかもしれないって思いも、心のどこかにある。僕自身の心を知るのが、いちばん難しい。
まさに、終わりなき旅だ。
「さあ次の扉をノックしよう もっと大きなはずの自分を探す終わりなき旅」
歌詞は、こんなことばで閉じられている。
到達したいあるべき自分を先取りして想像し、後からその自分を作り出す、という逆説的な理路が、自己を成長させていく。
大きくなりたければ、次の課題を自分で探すことだ。そして、辛いかもしれないけど、ひたすら、もがき続けるしかない。
また新しい扉が開くことを、信じて。
後日談

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
日本仕事百貨のゼミを受けたその直後くらい(2020年3月頃かな?)から、新型コロナウィルス感染症が猛威をふるい、こうした対面を通じた研修・講座は軒並み中止に。
「地域おこし協力隊」という「なんちゃって公務員」だった私は、インタビューライティングという切り口から地域活性を模索し、一時期は地域新聞に寄稿したり、HPにてインタビュー記事の掲載を行っておりましたが、その活動もコロナのお陰で先行きが不透明になりました。
「地域おこし協力隊」の任期は全国一律、たったの3年。コロナ自粛が始まった時点で任期は残り1年、協力隊なのに地域に人を呼ぶと怒られる。「俺、ライターとして食っていけんの?」とまっとうな悩みを抱えしばし暗中模索…。
そんな中で思いついたのが「行政書士」という資格でした。
この資格を超簡単に説明すると、「行政庁≒役所に提出する書類を、代わりに書いたり、提出する」ための資格です。「建設業許可」等の許認可申請のように、初見では手をつけがたい書類を代わりに作成、提出できるライセンスが付与されます。行政と民間の橋渡し役になりたいと思って協力隊になった私にとって、行政書士として今後を生きることは退職後の順当な進路に思えました。
日本仕事百貨のゼミと並行して宣伝会議の編集・ライター養成講座を受講していた私は、2020年3月、講座の途中で受講を中断。日本仕事百貨のゼミが終了してから約1ヶ月後、2020年3月24日から行政書士試験の勉強を開始しました。
11月の試験までの7ヶ月半、すこしタイトなスケジュールでしたが、なんとか試験に合格。協力隊の任期終了後からしばらくはウーバーイーツをやったり、議員さんの選挙を手伝ったり、カフェの店員をやったり。その間に開業準備を進め、2021年7月に行政書士事務所を開業。なんとか食いつないで今があります。
ゼミを受講したのが遠い昔のことのように感じられる悪天候な毎日を未だに過ごしていますが、「日本仕事百貨の編集ゼミ」のこと、ナカムラケンタさん、中川晃輔編集長、編集者の遠藤真利奈さん、増田早紀さん、稲本琢仙さん、そしてあの場にいた受講生のことを、ときどき、思い出します。
書けた時に「新しい扉を開けた」と思えた、あの感覚。苦しみもがいた末に到達する喜びみたいなものって、結構大切な感覚だったんだなーと。
到達したいあるべき自分を先取りして想像し、後からその自分を作り出す、という逆説的な理路が、自己を成長させていく。
大きくなりたければ、次の課題を自分で探すことだ。そして、辛いかもしれないけど、ひたすら、もがき続けるしかない。
書けると思えばなんとか書けるし、受かると思えばなんとか受かる。ギリギリまで踏ん張れば、なんとかなることって結構多いんですよね。私はのこりの人生で、あと何枚の扉を開けることができるのでしょうか。
最後の最後までお読みいただき、ありがとうございました。