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      WBCと七人の侍。

      2023年WBCが終わって、数日が経った。未だにシーンを回想しては、泣いてしまう。普段はスポーツと縁遠い人間だし観戦もしないんだけど。免疫が無いのかも。

      昨年のサッカーワールドカップでも、日本代表の快進撃は日本中を感動の渦に巻き込んだが、それは「喜び」や「興奮」に近いものだったように思う。

      対して、2023年のWBCで得られる感動の主成分は「信頼」と「伝承」だった。

      栗山監督の、ダルビッシュの、大谷の、ヌートバーの、牧の、源田の、観客の…、他者やチームへの振る舞いに、涙が止まらなかった。辛いであろう、大変であろう時に、こんなにも互いを支え合えるものなのか。不振の村上選手を周囲は信じ続け、まるでそれに応えるように準決勝でサヨナラヒットを打つ。決勝でホームランを打つ。単純にすげーよ。

      内田樹は「内田樹の研究室-『七人の侍』の組織論」のなかで、このように書いている。

      勝四郎の役割が何であるかは、もうここまで書いたからおわかりいただけたであろう。


      彼は「残る六人全員によって教育されるもの」という受け身のポジションに位置づけられることで、この集団のpoint de capiton (クッションの結び目)となっている。


      どんなことがあっても勝四郎を死なせてはならない。

      これがこの集団が「農民を野伏せりから救う」というミッション以上に重きを置いている「隠されたミッション」である。なぜなら、勝四郎にはこの集団の未来が託されているからである。


      彼を一人前の侍に成長させること。そのことの重要性については、この六人が(他の点ではいろいろ意見が食い違うにもかかわらず)唯一合意している。


      それは自分のスキルや知識を彼のうちに「遺贈」することによって、おのれのエクスペンダブルな人生の意味が語り継がれることを彼らが夢見ているからである。

      『七人の侍』の組織論 – 内田樹の研究室  http://blog.tatsuru.com/2010/11/22_1626.html

      村上選手がとんでもなく素晴らしいバッターであることに異論の余地は無い。

      だが、栗山監督が彼を起用し続けていたのは、「クッションの結び目」としての役割を果たしていたから、というもう一つの理由があったのだと思う。彼個人の好調や不調がチームに与える影響より、ずっと大きな役割を彼は背負っていた。いつぞや続く不振からヒットを放ったとき、飛び上がって喜ぶ選手たち、TV画面に映った吉井理人コーチの笑顔と栗山監督のホッとした表情がそれを物語っている。

      言うまでもなく、牧は林田平八であり(「腕は中の下」じゃないけど「苦しい時には重宝する」)、ヌートバーはトリックスター菊千代だ。ダルビッシュはサブリーダー片山五郎兵衛といったところか。七人の侍にサムライジャパンを重ねて観たのは私だけではないと思う。

      栗山監督は、もちろんリーダー島田勘兵衛。映画「七人の侍」では勘兵衛によるメンバーのリクルートが上映時間の半分を占めるが(たぶん)、WBC監督の仕事としてのリクルーティングはそれ以上の長丁場だっただろう。

      そして二週間に渡る激闘を指揮し続けた。誰もが楽しそうに振る舞いながら、初戦から決勝戦までを全勝で終えるような野球は、いろんな意味で歴史を塗り替えてしまった。上意下達の厳しいスポーツ、という野球に染み付いたイメージも半分過去のものになりつつあるが、この風潮は少年少女のスポーツ界にも拡がっていくのだろうか。丸刈りの高校選手を見ていると、もう少し時間がかかりそうにも感じる。

      我々はこの数週間、奇跡と呼べるものを観続けてしまった。あまりに現実離れしたストーリーを、小説より面白く、どんな自己啓発本よりも説得力がある「作品」として、終生語り継いでいくことになるだろう。

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